「私たちの確信するもの」

 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。ピリピ1:3-6

 私たち基督兄弟団は来年創立80周年を迎えます。
 一般的に「一世代30年」と言われます。私たちの教団は神の家族としては第二世代から第四世代に渡る三つの世代の人たちによって構成されており、そのリーダーシップも第一世代から第四世代へと移っていこうとしていると言えるでしょうか。80年前に私たちの教団を生み出された主が、同じように私たち一人ひとりを召してくださり、この交わりの中に招いてくださいました。私たちはこの招きに感謝しつつ、将来に向かってともに歩んでいきましょう。

 パウロはピリピ教会への手紙の冒頭に、私たちにとって大切な三つの「時」を述べています。それは「最初の日」「今日」そして「キリスト・イエスの日」です。私たちにも思い起こすべき「最初の日」があり、私たちのすべてを向けるべき「キリスト・イエスの日」があり、その二つの時の問にある「今日」を生かされています。

〇完成をめざして
 私たちの教団には「完成をめざして」というビジョンが与えられています。誤解してはならないのは、これは「私たちの働きの完成をめざそう」ということではありません。私たちが見ているのは自分たちのビジョンではなく、新天新地に向かう神のビジョンであり、それを完成されるのは神です。私たちは、神が教会を完成される「キリスト・イエスの日」をめざしているのです。
 ですから私たちは、「最初の日」と「今日」を繋いで「福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝」しつつも、ただ「最初の日」をふりかえることや「今日」を維持継承していくことに心を奪われてはなりません。約束された「キリスト・イエスの日」と「今日」を一本の線に繋いで私たちの歩みを定めていきましょう。

○この時代の中で
 聖書は、創造から新創造にいたる神の壮大なご計画を記しています。その間には人間の堕罪があり、そして神による贖いがあります。イエスキリストの十字架と復活です。そして神は聖霊を遣わし、教会を生み出されました。私たちは、聖霊によって教会を通してなされる福音宣教の時代に生かされています。そのような私たちの日は「キリスト・イエスの日」に向けられています。なぜなら、私たちのうちに「良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」からです。
 聖書の終末論は、この世の終末論とは異なり、破滅論ではなく完成論です。「終わり」とは消滅ではなく、完成なのです。私たちは困難の中にあって「先が見えない」と言いますが、その場合の「先」とは何でしょうか。私たちは次に何が起こるかという目先のことが気になります。しかしそこには希望や喜びは生まれてきません。私たちは、神の約束に対する信仰の目をもって「完成」を見ていくのです。

○私たちの働きは虚しくはない
 そのように、私たちに「完成」が約束されているということは、私たちの歩みはそこに向かう途上であり、私たちの「今日」は未完成であるということです。
 教会においても世代が代わっていきますが、次世代を今の世代の存続のために存在していると考えてはならないのです。終末の時代に生かされている私たちは、「キリスト・イエスの日」の完成の日まで、教会そのものが、完成に向かう未完成の者たちである意識が大事です。私たちの「完成をめざして」との告白は、私たちはまだ完成していないという告白なのです。その場合、過去や現在の延長線ではなく、私たちは将来の完成のビジョンによって歩んでいかなければなりません。
 完成の日まで、私たちの歩みは続きます。私たちの働きは未完成です。しかしそれは決して虚しくはないのです。

理事長 小平 牧生



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